表参道フォークウヱル別館

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日本のソフトウェアエンジニア出身の創業社長まとめ

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日本のIT業界で何かにつけよく言及されるのが、「アメリカでは Microsoft のビル・ゲイツ、Google のブリンとペイジ、Facebook のザッカーバーグを始めとするエンジニア出身のスーパースター起業家がゴロゴロいるのに、日本ではほとんど見かけない」ということ。それが日本のIT業界が今ひとつパッとせず、欧米勢にやられっぱなしの大きな原因のひとつのように言われています。

また成功して富と名声を手に入れたエンジニアが多いことが、アメリカでのエンジニアの社会的地位や待遇を押し上げていることも事実であり、物価の違いはあれどコンピューターサイエンス専攻の新卒学生がいきなり年収15万ドルを提示される土壌になっているのでしょう。

しかし日本でもハードウェアの領域に目を向けると、有名なところではホンダの本田宗一郎やソニーの盛田昭夫・井深大のような例はけっこうあります。やはり問題はソフトウェア領域。界隈で有名なソフトウェアエンジニアというと Ruby作者のまつもとゆきひろ氏を代表格に純粋な技術者が多く、ソフトウェアエンジニア出身で成功した起業家が取り上げられているのを寡聞にしてあまり見かけません。

しかし日本でも、そのような人たちが全くいないわけではないはず。そこで今回は、ソフトウェアエンジニア出身のめぼしい創業社長を調べてみました。
(以下、役職と会社の時価総額は2015年10月6日現在のもの)

馬場功淳(コロプラ)

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1人目はスマホゲームのトップメーカー「コロプラ」代表取締役社長、馬場功淳(ばばなるあつ)さん。コロプラは東証一部上場企業で、現在の時価総額は約2,607億円となっています。

2015年4月にアメリカの経済誌「Forbes」が発表した、10億ドル以上の資産を持つ世界の億万長者番付にランクインした日本人24人の内の1人で、同紙によるとその時点での個人資産は推定1,920億円。コロプラのIR情報によると、馬場さんの持株比率は55.9%だそうなので、これは妥当な額でしょう。

現時点ではまちがいなく、日本国内におけるソフトウェアエンジニア出身のぶっちぎりでトップの資産家だと思われます。

馬場さんは1978年生まれの兵庫県伊丹市出身。中学時代に電子工作部に入部、学校のパソコンで『マイコンBASICマガジン』をお手本にプログラミングを始めるように。いわゆる「ベーマガ世代」ですね。

その後、宮城県の都城工業高専に進み、ラグビー部に入部して高専ラグビーで日本一になります。卒業後は九州工業大学工学部知能情報工学科へ編入。ロボット等に用いる画像認識の研究に携わり、そのまま同大学の大学院に進みましたが、博士課程のときに友人に誘われてケイ・ラボラトリー(現 KLab)で iアプリ開発のアルバイトを始めることに。そのうち仕事がおもしろくなって大学院に行かなくなり、1年後に休学(さらに翌年に退学)。そのままケイ・ラボラトリーの正社員になりました。

当時25歳でしたが、よほど優秀だったのか博多支店の所長として10数名のスタッフをマネジメントする立場に。さらに本社の開発部長に抜擢されて出世コースに乗ります。そのいっぽう、プライベートで「位置ゲー」を開発、自宅のサーバーで2003年5月より運用を開始。これが「コロニーな生活☆PLUS(コロプラ)」の原型でした。

本業と「コロプラ」の開発・サポートという二足のわらじ状態は、その後およそ5年続きます。途中、Klab からグリーへの転職を経験しながらも、「コロプラ」の人気により兼業を続けられなくなってグリーを退職。しかしそれでもまだ会社にはせず、当初は個人事業として登録、その半年後の2008年10月にようやく「株式会社コロプラ」の設立に至ります。

創業には慎重でしたが、会社は毎年増収増益を続けてめざましく成長していきます。「コロプラ」の成長が鈍ると、いち早くスマートフォンゲームに目を付け、2011年9月に第一弾の「きらきらドロップ!」を皮切りに本格的なタイトルを次々に投入。会社は2012年12月に東証マザーズに上場、さらに2014年4月に東証一部に昇格します。

もうその後の説明は必要ないでしょう。2015年9月期四半期決算でも、売上高35.7%増・営業利益35.5%増と絶好調。「白猫プロジェクト」はトップセールスの常連で、最近は Oculus Rift を用いた VR領域にも進出しています。

ちなみに馬場さんは確認できる限り2012年の年末くらいまで、ずっと第一線でコードを書いていたようです。コードだけでなくゲームの企画も手がけており、大ヒット作「魔法使いと黒猫のウィズ」は馬場さん本人による企画原案とのこと。

経営者としてもエンジニアとしてもクリエイターとしても第一級。エンジニアが目指すロールモデルの1人に申し分ない方じゃないでしょうか。

川上量生(ドワンゴ)

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こちらは特にネットでは有名人ですので、ご存じの方も多いはず。ドワンゴの代表取締役会長で、その持株会社カドカワの代表取締役社長、川上量生(かわかみのぶお)さん。カドカワは東証一部上場企業で、時価総額およそ1,156億円。なお10月1日付で、社名がそれまでの「KADOKAWA・DWANGO」から変更されています。

ちなみに川上さんの個人資産額を計算すると、IR情報ではカドカワのトップ株主として8%の株を持っているそうなので、持株分でおよそ90億円ということになります。

川上さんは1968年生まれ、大阪府和泉市の出身。1990年に京都大学工学部を卒業後、ソフトウェアジャパンという会社に就職。調べたところ Netscape Navigator 1.0〜2.0 やモデム、MPEGボードなどの販売代理店を行っていた会社のようです。業務の一環で、ダイヤルアップインターネット上で DOOM などの通信対戦ゲームができるサービス「DWANGO」を提供していた米IVS社に、川上さんがライセンスの交渉をしていた矢先、ソフトウェアジャパンが倒産。

IVS社と川上さんが共同出資、IVSの日本子会社として有限会社ドワンゴジャパンが設立されたのが1996年のことでした。それとは別に翌1997年8月、川上さんを社長として、ソフトウェアジャパン時代の同僚およびゲーム制作集団「Bio_100%」の人たちをメンバーに株式会社ドワンゴを設立。

なおドワンゴジャパンのほうは、技術的問題や時間制課金を採用したことでユーザーの支持を失い「DWANGO」サービスを1998年に停止、ほどなく倒産しています。一方の株式会社ドワンゴは、中心となった「Bio_100%」というのはパソコン通信時代から続く伝説のゲーム制作集団で、その技術力で「セガラリー2」を始めとするドリームキャスト向けゲームの通信対戦部分のシステムを手がけるなど、オンラインゲーム専門のゲーム系技術企業として伸びていきます。

しかし川上さんは2000年に、元スクウェア取締役の小林宏氏に社長の座を譲ります。以降社長は2012年に荒木隆司氏に変わっていますが、彼は会長のまま。つまり川上さんがドワンゴの社長だったのは、実は創業当初の3年だけなんですね。(持株会社のカドカワでは社長ですが)

その後ドワンゴは初期の携帯電話の着メロに目を付け、着メロサイト「16メロミックス(後のいろメロミックス)」を開始。これが大ヒットして、お茶の間にも CM が流れるように。2003年には東証マザーズに上場、さらにその翌年には東証一部に市場変更。
また2006年に開始した「ニコニコ動画」がこれも大ヒットするなど、子会社で小さく始めたサイドビジネスが当たってそれが本業を支えるようになる、というパターンを繰り返して今日に至ります。

そして世間を驚かせたのが、2014年5月の KADOKAWA との経営統合発表。川上さんは当初合併した持株会社の代表取締役会長でしたが、2015年6月に代表取締役社長に。現会長の元KADODAWA 佐藤辰男氏も代表権を持っているため共同代表という形ですが、グループで約3,800名を抱える一大メディア企業のトップとなっています。

また彼は、ドワンゴの CTO(象徴CTO)でもあります。なお自分がエンジニアだったということをふだんは隠したいそうなのですが、子どものころは BASIC に始まり、8bit CPU の Z80 でマシン語を独学で学び、逆アセンブラを作ったり OS の解析をしていたとのこと。大学時代は Microsoft C や CAD の開発にのめり込み、ソフトウェアジャパン勤務時代には『Software Design』誌に技術記事を寄稿。またドワンゴでも、通信パケットを解析してチャットデータを抽出するようなシステムのコードを書いていたそうです。

田中邦裕(さくらインターネット)

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3人目は「さくらインターネット」代表取締役社長の田中邦裕(たなかくにひろ)さん。
さくらインターネットは東証マザーズ上場企業で、現在の時価総額は約103億円。IR情報によると田中さん個人の持ち分比率は2.8%ですが、「(株)田中邦裕事務所」なる会社が12.9%保有しており、それを足すと15.7%。そこから計算される実質資産額は持株で16億円ほどということになります。

田中さんは1978年の大阪府生まれで、子供時代を過ごしたのは奈良県。小学生のころから自宅の PC-6001 でプログラミングをし、ハンダごてで電子工作をするのが好きな少年だったそう。あるとき父親に連れられて行った奈良高専でロボットを見たことでエンジニアを志すようになり、京都の舞鶴高専に進学。そこでロボット製作に夢中になり、卒業までに4年間連続で高専ロボコンに出場しました。ちなみに1978年生まれの高専出身というのは、偶然ながらコロプラの馬場さんと共通ですね。

ロボット開発に携わる中でインターネットと出会い、学校でサーバーを立ち上げたところ、友人たちがそのサーバーを使って様々に情報発信するように。それが嬉しくて UNIX を独学で勉強し、PC に FreeBSD をインストールした安価なサーバーを構築して、学内向けにボランティアでホスティングサービスを開始。そんな折りにたまたま目にした雑誌の「自前サーバーでスモールプロバイダーを始めよう」という記事に触発され、地元の ISP に回線を間借りして一般向けのホスティングサービスを始めたのが1996年12月のことでした。

そのとき友人がハマっていた「サクラ大戦」というゲームから名前をもらい、「さくらインターネット」が誕生。しかし当時、田中さんはまだ高専在学中の18歳。ロボコンに加え吹奏楽の部活も掛け持ちの中、学校の後輩と寝る間も惜しんでサーバーのメンテナンスやサポート作業に当たりました。そして高専を卒業するころには加入者が1,000人を突破、それまで個人事業だったのを法人化し、資本金600万円で「有限会社インフォレスト」を設立しました。

破格の料金体系とシンプルなドメイン名がクチコミを呼び、ユーザー数は順調に増加していきました。そして1999年8月、インフォレストと神戸の新興データセンター事業者エス・アール・エスと共同出資という形で「さくらインターネット株式会社」を設立、データセンターのハウジングサービスを開始。さらに池袋にデータセンターを新設し、自前の高速回線サービスを提供する本格的なデータセンター事業者となりました。(2000年にインフォレストとエス・アール・エスを吸収合併)

2004年、月額1,000円以上が相場だったレンタルサーバーを125円で提供して業界に激震を与え、そして2005年には東証マザーズに上場。しかし手を広げた PCオンラインゲーム事業で大損失を出し、債務超過に陥ります。数千万単位の自腹の借金で減損対象の子会社の株を買うなどするも結局、2008年に総合商社の双日に出資を仰ぎ、現在に至るまでその株式の4割超を所有される連結子会社となっています。

さくらインターネットはそのコストパフォーマンスの高さから、mixi や GREE、2ちゃんねる、はてな、ニコニコ動画など日本の大手IT企業のスタートアップ時にはさくらが使われていたという逸話があります。創業17年目の2014年に売上は100億円を突破。高専在校時代の趣味で始めたサービスが100億円事業にまで育ったというのは、エンジニアを志す学生、特に高専生を惹き付けるサクセスストーリーではないでしょうか。

その他

上場企業の創業社長を紹介してきましたが、未上場のスタートアップにはもっとたくさんのエンジニア創業社長がいます。

たとえばユーザー数170万以上のオンラインチャート共有サービス「Cacoo」やプロジェクト管理ツール「Backlog」を提供し、北米へも事業展開している株式会社ヌーラボは、社長の橋本正徳さんを始めとする3人のプログラマーが創業した会社。橋本さんは高校卒業後、飲食業を経て地元の福岡で派遣エンジニアになり、技術コミュニティの仲間だった2人とヌーラボを始めました。

また月間100万UU を超えるプログラマー向け情報共有サービス「Qiita」やオフィス向け情報共有サービス「Qiita:Team」を提供する Increments株式会社の創業社長・海野弘成さんもソフトウェアエンジニア出身。京都大学工学部情報学科在学中にはてなでアルバイトを経験、社内で使われていた情報共有ツールをヒントに、ビジネスコンテストで知り合った仲間と3人で起業したそうです。

「創業社長」の縛りを外せば、上場企業でも DeNA の現社長・守安功さんは「モバオク」の開発などを手がけたエンジニア出身。また先日、惜しくも亡くなられた任天堂の岩田聡・前社長は数々の伝説的エピソードを持つ天才プログラマーでした。

 

日本ではメディアも大衆も、お金に執着せず純粋に技術を極めようとするエンジニア像を求める傾向があると思います。卵が先か鶏が先かではありませんが、そういうエンジニアに押しつけられ、自らも内面化してしまっている職人の清貧思想が、日本でエンジニア出身のスーパースター社長がなかなか生まれない原因のひとつかもしれません。また起業志向の人たちを「意識高い系」と揶揄したり、二次請け・三次請けの受託企業の惨状を一般化して「IT系は全てブラック企業」と若い人たちに吹き込むような風潮も、個人的には滅んでほしいと考えています。

数は少なくても事業で成功したエンジニアがもっとスポットライトを浴びて、学生や駆け出しエンジニアのロールモデルになってほしい。そんな思いで今回の記事をまとめてみました。

SIer→Web系の転職に成功する人“5つの特徴”とは?

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Forkwellプロダクトマネージャーのおおかゆかです。

弊社が運営する ITエンジニア向け転職サイト「Forkwell Jobs」と転職エージェント「Forkwell Agent」では、毎月多くの方がサービス経由で転職されています。両サービスで扱っている求人のほとんどが自社サービスやプロダクトを開発・運営しているいわゆる「Web系企業」によるものであるため、転職された方の入社先もほぼ10割が Web系企業。

そして IT企業をざっくり受託開発の「SIer」と自社サービスの「Web系」に分けるとすると、Web系への転職成功者の方の前職は、Forkwell Jobs でも Forkwell Agent でもなぜか SIer・Web系ほぼ半々。巷では「SIer から Web系への転職は難しい」「SIer から Web系への転職が多かったのはソシャゲ最盛期だけ」といった声もありますが、少なくとも弊社の観測範囲ではそんなことはありません。

そんな SIer→Web系の内定を勝ち取っていく方々の様子を日々拝見するいっぽうで、自身が弊社のエンジニア採用責任者として、たくさんの SIer 在職の応募者の方々と接する機会があります。今回はそんな私の視点から SIer→Web系の転職に成功しやすい方の特徴についてお話ししていきたいと思います。

【特徴1】年齢が26〜28歳のゾーン

いきなり年齢の話になってしまいますが、トレンドとしてはっきり出てしまっているために最初に挙げさせていただきました。こと SIer→Web系の転職においては、転職成功者の年齢は20代後半というのが圧倒的に大きいボリュームを占めています。

ちなみに Web系→Web系転職では、30代前半から中盤にかけてが最も多くなっています。ですのでこれは単に「転職するなら若いほうが有利」という問題ではありません。これを解釈すると、Web系企業で求められるある資質が SIer では磨かれず、そしてそれは20代を SIer で過ごしてしまうとその後もなかなか身につかないと採用側が判断しているということになるでしょう。

弊社でも応募されてこられる SIer 在職の方が多くいらっしゃいますが、30歳を超えると採用に至る確率が20代の 1/3 くらいに下がります。これは別に「若いほうが言うことを聞いてくれそう」だとか「若いほうが払う給料が少なくて済む」だとか考えているわけではなく、単純に求める資質を満たしておらず、将来の伸びしろも見込みにくいと判断している結果です。

私自身、新卒で SIer へ入社してその後に派遣を経て、初めて Web系企業に転職したのが27歳のときでした。そして Forkwell の開発メンバーも実は前職が SIer の人が多いのですが、やはり採用時26歳〜28歳というのが最大勢力です。

その「30歳を超えると身につきにくい、SIer では磨かれず Web系企業で求められる資質」というのはいったい何なのかというのが、まさにこれから挙げる2番目以降の特徴になります。しかし逆に言うと、29歳以上であってもこれらの特徴が身についていることをアピールできて、それで相手を納得させられれば採用の確率も高まるわけです。ですのでこの年齢ゾーン以上の SIer在職者の方でも、それを戦略として採り入れればあきらめる必要はありません。

【特徴2】技術が好きでプライベートでも自主的に取り組んでいる

ネットでは定期的に「エンジニアは業務外でも勉強するべきか否か」というテーマで盛り上がっては沈静化を繰り返してますが、先日も「業務時間外で勉強をしなければいけない理由」という記事が取り沙汰されていましたね。

しかし、こと Web系企業においては、プライベートで業務以外の技術に取り組むのは当たり前という風潮です。(ここで「勉強」という言葉をあえて使わなかったのですが、それは個人的に技術は「勉めて強いられる」ものではなく、好きだから楽しんでやるものだと考えているからです)
そもそも CTO からしてそういうギークの人たちがほとんどで、彼ら彼女らが価値観の近い人たちを採用してチームが出来上がっているという現実があります。

別にそれは単に仲良しチームを作るためではありません。多くの Web系企業では開発プロセスに極力、属人性をなくすために、コードレビューやソフトウェアテストが徹底されます。ですので他のメンバーと同レベルの可読性やパフォーマンスを実現したコードを書くことが求められます。変数名が a1, a2, a3 だったり、DBのテーブルカラムが重複していても SIer では怒られないかもしれませんが、ちゃんとした Web系企業では許してくれません。

そんなところに入っていこうとすれば、自分もそのチームメンバーたちと同じ種類の人間であることを証明する必要があります。しかしここで問題になるのは、「意欲」だけではだめだということです。私が面談時によくする質問で「最近注目している技術はありますか?」というのがありますが、よく陥りがちなパターンはこんな感じ。

私:「最近注目している技術とかありますか?」
応募者:「関数型言語が気になってます。Scala とか」
私:「へー、Scala。Scala のどこが好きですか?」
応募者:「えっ? いや、まだちょっとチュートリアルを見始めたくらいで…」
私:「そうですか。勉強会とかには参加されてないんですか?」
応募者:「…いえ、特には……」

「技術が好きでプライベートでも自主的に取り組んでいる」ことを具体的な形で示しましょう。その技術のどこが好きかを体系的に語れる、読んだ本のタイトルとその感想が言える、勉強会に参加している、何か作ったものが GitHub に上がっている。もしそれにスターが2桁以上ついていたりすれば、採用したい気持ちにチェックがかかります。

ここまで読んで「やばい全然ムリ」と思った方へのアドバイス。SIer では社内外での分業が進んでいてシステムや開発工程の一部分しか業務ではタッチできず、そんなアンコントローラブルな環境を延々と強いられるため学習性無力感が職場に蔓延し、「業務以外では PC をさわりたくない」なんて人もめずらしくありません。私も SIer入社最初の2年間はそんなでした。でもあるとき自宅の PC に Linux をインストールして何でもできる環境を手に入れたときに、目の前がパッと開けました。システム全体の root権限を手に入れた全能感と、業務で断片的に頭に入っていた知識がつながっていく嬉しさが、私を無力感の呪縛から解放してくれました。

今なら Raspberry Pi を買ってきてイチから環境を構築してみるとか、いいかもしれません。子供がブロックを積み上げてお城を作っていくように、小さくてシンプルで把握しやすいものから始めて、取り組むのが楽しいと思える技術を見つけてみてください。

【特徴3】プロダクトに愛着を持ってくれそう

CTO の知人に、「自分の会社の求人には、あまり技術のことばかり詳しく書きすぎないようにしている。技術だけが目的の人に来てもらっても困るから」と公言している方がいます。その行動については個人的には賛成しかねるのですが、いっぽうでその理由については多くの開発責任者の方が共感できるものだと思います。

一般的な面接時のお約束の質問として「弊社への志望理由を聞かせてください」というものがあります。また弊社求人の話になりますが、この質問に対して「Rails で開発できるから」と答えられる方がめずらしくありません。その答えが返ってくると、「Rails 使っている会社なんてたくさんあるんですから、別に弊社じゃなくてもいいじゃないですか」と思わず口に出してしまいそうになります。

特にスタートアップや上場まもない会社というのは事業のミッションや実現したいビジョン、そしてそのための会社のカルチャーづくりというものに対して非常にこだわっています。採用する側としては正直な話、これらに心の底から共感してそれを熱く語ってくれる人材なら、多少のスキル不足には目をつぶってもいいとさえ考えています。

エンジニアにとっては、ひょっとしたらこれは納得しにくいことかもしれません。転職活動をされているエンジニアの方々を見ていると「スキルさえあればどの会社にでも転職できる」と考え、不採用になったら「純粋に自分のスキル不足だった」と考える傾向があるように思います。しかし一般的な採用の場において、実はスキルというのはスタートラインに立てる必要条件ではありますが、それだけで採用が決められる十分条件ではありません。

Ruby作者の Matz が Salesforce のチーフアーキテクトになったり、Python作者の Guido van Rossum が Dropbox に入社したりといったケースは、例外中の例外。彼ら並みに誰もが認める技術力とエンジニアコミュニティでの圧倒的な知名度や求心力を備えているなら話は別ですが、現場でプロダクト開発に携わるスタッフの採用においては、何よりもチームの一員として会社のビジョン実現に貢献してくれる人材が求められます。

ですので、たとえアプローチのボタンの名前が「まずは話を聞きたい」とかであったとしても、「どれどれ、まあそちらの話を聞かせてくださいな」と何の準備もせず出かけていくのは絶対に NG。求人のスキルがマッチしていることは当たり前として、ちゃんとその事業について調べ(といっても普通は求人に書いてあるのでちゃんと読む)、自分が興味を持てるサービスかどうか、またミッションやビジョンに共感できるかどうか、さらには社長の人物像(=社風に直結する)も調べた上で、自分自身のその会社に対するモチベーションを醸成してから足を運ぶようにしましょう。

【特徴4】自分で仕事が見つけられる自主性がある

SIer と Web系企業の一番の違いはここかもしれません。SIer ではひとつのプロジェクトでも社内外での分業が進められており、「A社にはシステムのこの部分が任されていて、甲チームが受け持つのはこの工程で、でαさんはその内ここの担当ね」と細分化された業務が充てがわれることが多いようです。しかし Web系ではひとりのエンジニアがヒアリング、仕様策定、設計、実装、テスト、デプロイ、インフラ構築・運用までをも担当することがめずらしくありません。

そればかりか会社によっては、「この KPI を達成するために、調査から施策の洗い出し、リリースと効果の追跡までお願い」と丸投げされることもあります。そういった環境では、一介のエンジニアであっても自分の仕事を自分で見つける必要に迫られます。そうなると「たとえ結果が出なくても、それは開発した自分ではなく企画した人のせい」のような態度は社内カルチャーとして許されないというより、論理的に正当性を持ち得ません。

ですので、Web系企業ではいわゆる「指示待ち人間」が非常に嫌われます。面談の場で「あ、この人は指示待ち人間なタイプだな」と思われたら、そこで試合終了です。しかも Web業界人は「SIer には指示待ち人間が多い」というバイアスを持っていることが多いので、スタート時点でそのマイナスを挽回する必要があります。

これを払拭するためには、いかにこれまでの業務の中で積極的に自分が主導権を握って何に取り組んだかをアピールするのがいいでしょう。たとえば会社で自分が Git や CI を導入しましたとか、社内勉強会を開いて有志を集めて業務以外でこんな技術に取り組みましたとかといったエピソードがあると効果的です。

また採用側では、自主性を見るために過去の業務について詳しく突っ込んで聞くことがよくあります。システム全体がどんな技術で構成されているとか、なぜその技術が採用されたのかとかを聞かれて答えに詰まった場合、自分が担当するシステムや工程の一部分にしか興味がなかった「指示待ち人間」と判断されてしまいます。

【特徴5】コミュニケーション能力がある

「ここでもコミュニケーション能力かよ! コミュニケーション取りたくないからエンジニアやってるのに」という声が聞こえてきそうですが、コミュニケーション能力はエンジニアの業務でも非常に重要です。ただしここで言う「コミュニケーション能力」とはアドリブで30分以上話し続けられるとか、顔が広くて Facebook のフレンドが1,000人を超えているといった類いのものではなく、「エンジニアに特化したコミュニケーション能力」です。

ではその「エンジニアに特化したコミュニケーション能力」とは何か。難しいことではありません。「他のチームメンバーに嫌われず、スムーズに意思疎通できて、気持ちよく仕事ができる」ことです。

たとえば初めて Pull Request に出したコミット内容に、他の皆から20件以上の指摘がついたとします。それを「こんな細かいことまで文句付けんなよ、めんどくせーな」などと思わず「ああ確かに指摘された通りだわ。まだまだ学べることがあるなぁ」と思えるかどうか。たとえば仕事のチャットでのやりとりで相手と険悪な雰囲気になりそうなとき、絵文字を使って表現を和らげることができるかどうか。その他、わからないことを人に聞かずに1日中調べて時間を無駄にしたりしない、非エンジニアのスタッフと話してて「こんなこともわからないの?」と馬鹿にしたりしない、他人が好きな技術を Disらない、etc. etc.

くだらないと思いますか? でも Google では社員採用の最終面接に「エアポート・テスト」というものがあり、「飛行機が欠航になって、空港で一晩いっしょに過ごさなければならない。そのとき、夜通し語り明かせる人かどうか」という基準でチーム全員から OK が出ないと採用されないといいます。また弊社でもエンジニアを採用する際、開発メンバー全員が候補者と会って1人でも「あの人とはやっていけなさそう」という意見があれば、そこでいったん選考にストップをかけ、その引っかかっている部分を徹底的に話し合い、それでも懸念点が解消されなければ不採用になります。

最後に

「SIer→Web系の転職に成功する人 5つの特徴」、いかがだったでしょうか? 5つ全てを高いレベルでそなえることは難しいでしょうが、面談・面接の場でどんなポイントを見られているかを知っておくことは、採用の成功率を上げるのに役立ちます。自分は5つのポイントのどこが強くてどこが弱いかを自覚した上で、手っ取り早く埋められる弱点は埋め、強みを強調したアピール戦略を立てて転職活動に臨みましょう。

Forkwell Jobs でも準備不足のまま蛮勇で十数社も突撃して派手に玉砕される方が実はけっこうめずらしくなくて、そんな方々に届くといいなと思って今回この記事を書きました。

著名なOSSコミッターの年収はいくらが適正か?

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Forkwell プロダクトマネージャーのおおかゆかです。ニンテンドーID は homeyuka で愛用のブキはプロモデラーRG(ナワバリ)/.52ガロンデコ (ガチ)です。

「表参道フォークウヱル別館」お久しぶりの更新となります。また、今回より以前の Heroku アプリからはてなブログに移転してお届けさせていただきます。

本題に入る前に改めてこのブログの紹介をしますが、ITエンジニアのキャリア支援サービス「Forkwell」「Forkwell Jobs」の公式ブログです。サービスのコンセプトは「技術が好きなエンジニアの目線から、転職サービスを再構築する」。このブログでは、エンジニア採用に携わる方および転職を考えるエンジニアの方に対して情報を発信していきます。

Twitter で炎上していた話題

さて先日、Twitter において「著名なOSSコミッタを年収400万円で雇おうとしたら無理だったお話」という話題がエンジニアの間で盛り上がっていました。詳細は Togetter によるまとめページを参照していただくとして、要約すると「かなり有名なOSSプロジェクトのコミッターとなぜか意気投合した会社の経営陣がその人を雇おうとしたところ、当人から年収800万円を提示された一方で、その会社はエンジニアに出せる年収は400万円が限度だったのであえなく破談になった」という話のようです。

これに関して「ふざけるな安すぎる」「エンジニアの生産性の個人差は10倍あるのを知らないの?」という声もあれば、「800万円の根拠は?」「800万出してその人はいくら稼いでくれるの?」と疑問を呈するような声もあったようですが、大半はエンジニアからの反感の表明でした。もしこの会社が実名を出してこのような見解を表明していれば、まさに「炎上」状態になっていたでしょう。

この話題について、Forkwell として何も言わないわけにはいかないと思いました。なぜなら Forkwell Jobs をちょうど2年前の2013年6月にリリースしたときから、掲載求人に「著名OSS のコミッターが在籍」という項目を設けているからです。(2015年6月現在、この項目に該当する求人は49件)

はたして企業が著名なOSSコミッターに出す年収はいくらが適正なのでしょうか? この問題を、エンジニア以外の方々にも納得がいきやすいよう考えてみたいと思います。

雇った会社がどれだけのリターンを得られるかという観点から

まずここは経済学的に、ミクロとマクロの見地から考えてみましょう。前者はその会社が払った年収以上の価値をそこから得られるかという観点、後者は市場における相場の観点です。

もしこの会社が受託業務中心の SIer だった場合、純粋に戦力としてだと年収800万円でペイさせるのは難しいでしょう。SIer の収益モデルはクライアントに対してエンジニア1人当たり月額○○万円という時間を売る「人月商売」がほとんどのため、現場でコードを書くエンジニアに払える金額を高く設定できません。なぜなら「この人は著名な OSS コミッターなので、他のエンジニアの2倍の単価を設定させてください」と言っても、ほぼ IT に関して素人のクライアントに納得してもらうのは難しいからです。

また、万が一コミッター本人が「他の人たちと同程度の金額でいいですよ」と譲ってくれたとしても、スキルの高いエンジニアは通常より短い時間で仕事を片付けるし、さらには出すバグも少なくメンテナンスの手間を軽減させてしまう。人月モデルの SIer からすれば、これは会社に入るはずだった売上を減らすことになります。この会社はそこまで考えてなかったでしょうが、実際に稼働していればその人の優秀さが、会社にとっては逆に損害を与えてしまう可能性は高かったはずです。

一方で自社運営のサービスを抱える、いわゆる「Web系企業」だった場合はどうでしょうか。 こちらは収益が人月モデルではないため、その人のパフォーマンスをそのまま給料に反映させることに経済的な障害はありません。エンジニアの間には、「優秀なエンジニアの生産性は非凡なエンジニアの10倍」という有名な話(神話?)があります。これは純粋に開発スピードだけで言っているのではなく、後々のメンテナンスのしやすさや起こるかもしれない障害やセキュリティ事故も含めて考えれば、それくらいの個人差が生じてもおかしくないということです。よくニュースでシステムの大規模障害や個人情報漏洩が取り上げられますが、優秀なエンジニアがいないと時には時間だけではなく経済的、信用的な被害まで会社に与えてしまうことがあります。

さらに加えて、飛び抜けて優秀なエンジニアはチームメンバーに対してもよい影響を与えます。思いつくままに列挙すると、

  • よりよい設計や技術の選定、ワークフローの改善など、開発が長期的に破綻しにくく、作業者が楽をできるような環境を積極的に作ってくれる

  • 身近にすごい人がいることで、チームメンバーが「自分もあの人に近づきたい」と向上心を持つようになる

  • 採用の際の武器になる。「ウチにはあの有名な OSS のコミッターがいるんですよ」という文句は、エンジニア求職者には魅力的

といったものがあります。

これらの効用を考慮すれば、通常のエンジニアの2倍以上の給料を払ったとしても、会社にとっては十分におつりが来る安い買いものでしょう。

市場の相場の観点から

そういった価値をわかっている会社(主に「Web系」と言われる自社サービスを運営している会社ですが)は、優秀なエンジニアには青天井で高い年収を提示します。 こういった話題ではよくシリコンバレーや Google が引き合いに出されますが、日本でもたとえば DeNA さんに Forkwell Jobs で掲載していただいていた求人は、オファー可能年収の上限が3,500万円に設定されていました。(現在は募集終了)

同様にオファー年収上限が1,000万円以上のエンジニア求人は、Forkwell Jobs に掲載されているだけでも2015年6月現在、63件あります。

私はこれまでに500件ほどの求人を監修し、その応募者の方々のプロフィールのほとんどに目を通してきましたが、件の「著名なOSSコミッター」の方が希望した年収800万円というのは、現在の日本の相場から考えてもきわめて妥当な額だと考えます。同じエンジニアの立場としては1,000万円以上と言いたいところですが、日本の現在の市場状況を考えると「著名なOSSコミッター」という条件だけなら、まず740万円程度から交渉スタート。あとはその方の知名度やこれまで在籍したチームにどれだけ好影響を与えられてきたかの実績で上乗せしていく感じでしょうか。 もちろん、会社がイケイケで優秀なエンジニアの価値を十分知っている会社であれば、最初から1,000万円以上の額をポーンと提示してくれることもあります。

「800万円は高すぎる。エンジニアに出せるのは400万円まで」と役員が言い放ったというこの会社は、この相場を知らずに自社のミクロな価値観だけでしか見ていませんでした。それが多くのエンジニアの反感を買う結果となったのでしょう。

まとめ

件の会社は、価値もわからず雇ったところで使いこなせもしないのにミーハーに優秀なエンジニアをほしがったため、無駄な時間を使ってお互い不快になるという不毛なことをしてしまいました。

それだけで済めばまだいいのですが、今回の件は幸いにも会社が特定されなかったものの、もし会社名が漏れていれば、エンジニアの間にその会社に対する悪い評判が広まり、その後長きにわたってエンジニア採用にかなり苦労することになっていたことでしょう。

これに限らず「優秀なエンジニアがほしい」という会社は多いです。しかし考えてみると「優秀」という言葉は非常にあいまいで、業界や会社によっても基準が変わってきます。採用に携わる方々には、自社にとっての「優秀」の定義をちゃんと詰めた上で、かつその条件を満たす人材の年収相場のリサーチをして、相手に失礼のない対応ができるよう準備しておきたいものですね。 (「相場とかそんなのわからない」という企業様には、Forkwell が相談に乗らせていただきます)